shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

これまでの経緯 (1/5) 大学入学→就活→1社目

ようやく自己紹介。ペンネームの由来より自己紹介を1記事目に持ってくる方が良かっただろうか。いや、この際自由にやることにする。それに1記事目に出すには重い。
なんで自分のことを書くのにこんなにやる気がしないのか。それは自分と向き合うにはエネルギーが要るからだと思う。

今の私を一言でいうなら、「自分の進む道が分からない人間」だ。

今までの経緯を書いていく。

 

 

大学時代(1~2年)

大学進学を機に初めての大阪、大学生活、1人暮らし、人間関係と、初めての要素が多すぎて疲労困憊となった。アウトドアサークルもイベント委員も、飲み会やよく分からない何時間も駄弁りをするだけの集会など、時間を物凄く無為にしているように感じた。学科の友達と昼休みに集まっても、みんな無言でスマホばかりいじっていてつまらなくて、集まる意味が無いと思った。夏休みに入る前に辞めて人間関係が無くなり、大学では1人で過ごすようになった。1人でいるのは気楽で、単位を取るのは問題なかった。更に大学から徒歩で近い場所に住んでいて、大学では講義時間は90分もあるので、仮に1時限目と3時限目を取っていて空き時間が出来たら、すぐにいったん帰っていた。今思うともっと頻繁に大学の施設を利用したりしても良かったかもなと思う。サークルを辞めた後に別のサークルに入り直しても良かったけど、それはしなかった。中高大と上がっていく中でいったんはどこかに所属したものの毎回合わなかったことで、部活という集団自体が自分には合わないのかもなと思ったから。それに加えて、

(馴れ馴れしいんだか余所余所しいんだか分からず、距離感を掴みにくい)

(人間関係が薄く広くすぎる…と思ったら、結構密に連絡を取る)

という大学生特有のノリに馴染めなかった。私は小中高の、『クラスが1年間固定されてて、その中で仲良しメンバーを作ってやっていく』という形式に慣れきっていて、大学に適応できなかった。それ以外の人間関係の作り方を知らなかったから。

そういう経緯もあって、1人で過ごすのが楽だし問題ないと思うようになった。それにLINE疲れもあった。大学入学直前に初めてスマホを持ってLINEを始めた。特にグループラインが苦手で、知らない誰かが知らない誰かとしている超どうでもいい話を見せつけられるのが嫌だった。あの通知音や振動も嫌いだった。常に誰かから何か来るような、不自由さを感じていた。まぁ1人になった後は殆ど誰からも何も来ない、気楽ながら寂しいアプリとなったのだけど。

 

就活

もともと自己肯定感が低かったところ、大学3年後期くらいから徐々に心に余裕が無くなっていく。私はもともと就活の雰囲気に苦手意識を持っていた。その要因として以下の理由がある。

  1. 「大学時代に頑張ったこと、いわゆる ガクチカ が無い」
  2. 「自分が何をしたいのか全く分からない」
  3. 「就活というものが何から始めればいいのか分からない」

3月1日の就活解禁頃にどんどんまずい状態になり、初夏に就活(就活そのものというより、就活への恐怖が肥大化・自分と向き合う恐怖)により精神がボロボロになっていった。具体的にはどういう影響が出たかというと、

  • スマホに電話がかかってきても怖くて出られない
  • 食料調達にスーパーに行く以外、基本的に部屋に引きこもる
  • 超頑張って学部構内に入っても、怖くてゼミの研究室に入れない

という何に対しても怯える、どう考えてもまずい状態になった。何故こんなレベルまで精神状態が悪化してしまったのかは今振り返っても分からない。1人暮らしで誰とも連絡を取り合わない状態で就活をするとどんどんネガティブになり、ナチュラルに思考がおかしくなる 認知の歪み を修正することも出来ず、負の思考スパイラルに陥るということだけは分かる。ただ周囲のサポートもあり、紆余曲折を経ながらも何とか留年せずに卒業することが出来た。(就活どころではなかったので相変わらず内定は無し)

 

1社目

卒業前の2月くらいにある就活支援サービスでの営業研修に参加したりするものの、講師も受講者も自分とは雰囲気が明らかに違っていて、「自分には営業絶対無理だ…」と思い1日で辞退した。

卒業式のある3月頭に、"ITスクールで基礎知識を学んだ後に入社できる"という中小IT企業へ数か月間で通い、入社。社内開発は極わずかで、その会社は典型的なSESだった。ただ、それぞれ少し癖はあるものの良い人ばかりで、残業時間は少なく勤怠もExcelで管理されていた。ただ私にはプログラミングは肌に合わない、難しすぎたようで全く頭に入って来なかった。OJTでは比較的難しいJavaを本社で扱った後に、言語の中では一番難しいとされるC言語の開発現場に行くことになってしまった。ITスクールの段階で合わないことは薄々感じていたので、通うのを辞退していればよかったと思う。しかし、

(ここで辞めたらもうどうしようもない、ただの職歴なし既卒が誕生するだけだ。)

(在学中に就活しなかった理由は面接で必ず聞かれるし、卒業後の空白期間に何をやっていたのかも聞かれる。それに大学時代に頑張ったことなんて無いし、絶対面接通らないだろう。精神的にボロボロだったことが知られたら雇ってもらえる確率は更に低くなる。それを隠しながら理由を説明できないと、どこにも拾ってもらえない…。)

(文系なのに営業が嫌なら、もうITの道しか無いだろう。あの1日で辞めた研修のように、商品を売り込んでいくよりは合ってるはずだ。プライベートではPC使う時間も多いし。)

(そもそもプログラミング全然分からないし興味もないし超つまらないけど、やっていくうちに分かってくるはずだし、分かってきたら楽しくなるはずだ。取り敢えずここでやっていくしかない!)

というメンタルをやられた人間特有の、

  • 悪い要素を見て悪い未来ばかり想像する
  • 視野が狭い
  • 選択肢の幅が少なすぎる
  • 自分は誰にも何処にも受け入れてもらえない、という思い込み

という状態になっていた。当時は実家にもみっともないし恥ずかしくて帰れない、という思いがあったので逃げることも出来なかった。結局OJT3ヶ月・開発現場9ヶ月ほど勤務した後、頻繁な頭痛や睡眠悪化の他、体がとてつもなく重く涙が止まらなくなり、職場に行けなくなって休職期間に入り、病院で 適応障害 と診断された。それでも一年持っただけ、営業よりは合っていたんだろう。早々に辞めたほうが精神へのダメージは少なかったように思えるが…。

適応障害の診断書を会社に提出し、3か月の休職期間へと入った。