shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

ネットのほぼ無い生活

明日の朝、ネット回線の工事業者が来てようやくネットが繋がるようになる。

これでオフラインPCとも、スマホのデータ通信容量を気にしながらちまちま使う生活ともお別れだ。

 

ここ数日は朝だけじゃなく夕方も若里公園に来ている。朝は体がまだ目覚めてないし朝食を消化できてないので散歩、夕方は散歩か疲れてなければランニングもたまに。

 

家にいてもやることが無い。

GWに突入したから役所も火曜まで開いてなくて行けないし、火曜になったら人が押し寄せるだろうから行きたくない。転入などの超重要手続きは既に終えているのでそこまで早くする必要は無い。

引っ越してからは家でずっとAmazonて商品を眺めて注文して受け取るために家に居ての繰り返しだったけど、注文したものがだいたい届いてきて、ようやく生活に不自由さが減ってきた。

同じ曲群を聴くのも流石に飽きて、オフラインなので同期の問題で起動できるゲームも限られ、本棚が無いので本を詰めた段ボール箱開封して部屋を更に散らかす気にも中々なれず、スマホもデータ容量が少なく動画どころかネット検索すらあまり使いたくない状況。

 

2週間ほど、ネットサーフィンを殆どせず、YouTubとTwitterを一度も開かない生活だった。意外といけるものだった。

ネットが無い時代の生活ってこんな雰囲気だったのかなぁ。なんか穏やかで、心があまり乱されない感じがする。いや、人類の歴史から見ればネットがある生活の方がごく最近のみに限られ、且つ異様なんだけど。

 

「比較は喜びを奪う」という言葉があるけど、自身と他人を比較する時って殆どがネット見てる時だしなぁ。普通に街で歩いててもそんな嫉妬するような相手見つからないし。

それに攻撃的な言葉もネットを見なければ現実だと全然遭遇しない。公園で挨拶されたり、通路の入口を譲ってもらったりと親切にされた記憶くらいしか思い出せない。

 

ネットって通販に使うくらいがちょうどいいのかもな…。

あとは現実の活動、自分のやるべきことにだけ集中して楽しんだ方がずっと人生が豊かになると思う。ネットで見てるのって結局は大半が他人の活動であり、即ち他人の人生を座ってボーっと眺めているだけだ。そんなんで一度きりの人生を消費してしまうのは良くないと思う。

一度ネットの楽しさを覚えてしまった身からすると、それを遠ざけるのは容易ではないかもしれないが、なるべく意識はしてみる。