shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

自殺しようとしていた

すごく長くなるけど、この際一気に書いてスッキリさせる。

 

 

昨日の夕食後に、母から厳しく指摘された。家にお金を入れていないこと、停滞した今の生活をいつまで続けるのか、物価高や円安による生活費増など…。

ぐうの音も出ない内容だった。

いま心の中でどう思っているか聞かれた。自分がどう思ってるのか分からないので説明できない。何も考えていない。

家に毎月5万のお金を入れるにはフルタイム正社員で働くしかない。今の収入から5万払った残りでは生活雑費どころか年金保険料すら払えない。

 

今働いているスーパーのレジ部の同僚はみんな良い人達だけど、何故か正社員になりたいとは感じない。売り場は明るいけどたまにすごく耳障りな曲がかかったりして不快だ。バックヤードの雰囲気も暗くて狭くて好きじゃない。ロッカールームもすごく狭い。レジ部以外のスタッフには自分と雰囲気が合わない人が多い。社員になったらレジよりバックヤードに居る時間の方が長いように見えるので余計に不安。甘えや気のせいなのかもしれない。でももうこれ以上の短期離職は出来ない。3社目のここが合わなかったらどうしようもなくなる。いやその前に今のフリーター未満生活が続いてる時点でどうしようもないけど。

ただ接客業小売業自体はITや営業とは比べるまでもなく自分には合っているように感じた。4時間立ちっぱなしだけでも終わり際は辛いのに、これが毎日8時間以上となるとやっていける自信はあまり無いけど…。

正社員になるつもりが無いなら、求人を探して、今の職場に辞める意思を伝える必要がある。しかし地元の求人を見ても自分に合いそうな仕事が無い。

進む道が分からなくなり、八方塞がりで絶望した。

 

準備

免除or猶予されている未納年金保険料が数十万円分ある件について母から雷を落とされた6月の時に、苦しい悲しい、自分がこんなどうしようもない人間だったなんて、でも近いうちに死ぬからもう悩む必要も無くなる、でもどうせなら苦しくない死に方が良いな…、そういえばそんな感じの本を見かけたことがあるなと思い、完全自殺マニュアルという本を購入した。

いよいよ自分がどうしたらいいのかどうなりたいのか分からなくなり父に説明できる計画や内容が無いどうしようとなった9月に、首吊用のロープを購入した。

購入したは良いが箱は開封しないままだった。開封してしまいロープが手元にある状態だといつでも決行できてしまう気がして怖かった。こう思う時点で本心では生きたいんだろうが…。

その直後、何故かこのタイミングで体調を崩し、初めてコロナウイルス陽性と診断された。療養に徹することで多少の猶予を得ることが出来た。何という偶然だろう。

 

このように、もともと死ぬ準備は少しずつ進めていた。ただタイミングが無くて普通に怖かったのと、コロナ療養で体力が落ちて実行することが出来なかっただけで。

それが母から激怒されて、あぁもう逃げ場が無いなと感じて、生きることそのものから逃げようとした。

質問には答えず椅子から離れ逃げるように自室に戻った。急いで箱を開封し、ロープとスマホだけ持って家から出た。

 

 

昨日家を出てからの行動

家を出た時19時を過ぎていたので既に暗かった。まず、近場の山に行った。死に場所として考えてたので。10日ほど前に1年ぶりに登った時も、首吊用に太い枝がちょうどいい高さで横に生えてないか軽く探したりしていた。結局そういう枝は見つからなかったので、山が俺に死ぬなと言ってくれていたのかもしれない。

山に行ったはいいものの、市街地に近いとはいえ日没後の山は真っ暗で何も見えない。その上ロープの結び方も調べてなかった。知ってても見えないから結べないけど。グダグダだけど、自殺中止という意味ではこの段取りの悪さは良い方向に作用していた。

 

ひとまず山の入口から降りて街に戻った。今夜中に決行するには手元を照らすための懐中電灯が必要だと考え、家電量販店へ。20時の閉店間際だったので迷惑をかけないように急いで選んだ。

ここでTSUTAYAから借りている漫画のうち一つのタイトルが微妙に気恥ずかしい感じであることを思い出して、死ぬ前に返却したくなった。内容はまともなのだけど。それにしてもこれから死ぬつもりだというのに物凄くしょうもないことを気にしだすんだな…。ともかく、あのように家を飛び出した以上すぐに帰るのは避けたかった。家族と顔を合わせにくかったし。

そういうわけで家族が眠りについているだろう午前0時くらいまでどこかで過ごして、自室から漫画を回収し返却し、その後山で死ぬという流れにすることにした。なんだその流れ。

 

本気で死ぬつもりなら懐中電灯を買った時点ですぐに死ねたはず。やはり心の底では実行する気は無かった?そもそも首吊にこだわらずとも飛び降りれば済む話ではある。痛そうだからやりたくないが。飛び降りから生還した人の話では飛び降りる直前の記憶が無いというのもよく耳にするから、落ちる途中で気絶しているかもしれないが…。

「自殺衝動は一時的なものであり時間が経てば小さくなっていくこと」、「自殺を考える人間の脳は正常な判断力を失っているだけで、本来のその人が下した意思ではないこと」

気が動転していたとはいえ、これらの2点を事前に知識として持っていたから思い留まれたのかもしれない。あれこれと時間をつぶして自殺衝動が小さくなるまで待っていた…のかもしれない。

 

21時まで開いているゆめタウンへ。自殺で書店内検索したところ5000円くらいする最近出版された自殺についての本が出てきたので少し読んだけど、小難しくてよく分からなかった。

この日は日中歩きっぱなしな上に夜も自転車を漕いでばかりで疲労困憊だったので、置いてある椅子に重い体をおろした。

閉店10分前に店を出た。お風呂に入りたかったので、遠いけどもコロナワールドに行くことにした。パンデミック以降、とんでもない皮肉ネーミングにしか見えなくなってしまった施設である。

お腹が減ってきたので途中にあるモスバーガーでスパイシーモスバーガーのセットを食べた。期間限定の月見フォカッチャも食べたかったけど、こっちも長いこと食べてなかったので。

コロナワールドの温泉もいつ以来だろうか。ひょっとして学生時代以来か。微炭酸風呂、ジェット風呂、水流風呂、露天風呂、石釜風呂、そして自分の好きな38℃ほどの風呂。そういえば三瓶山の国民宿舎の温泉施設は素晴らしかったな…。国民宿舎って勝手に古いイメージを持っていたけど考えを改めないと。あそこの33℃のぬるい樽風呂は最高だった。

22時から30分ほど入浴し、一時間ほど畳のくつろぎの間で横になっていた。体は綺麗になったがかなり重く、しばらく動けなかった。上着を持ってこなかったので外に出ると肌寒かった。

 

いったん家に帰ってきた。誰も起きてないだろうと思いながら静かに鍵を開けると姉が普通に起きていて何故か軽くショックだった。

上着やモバイルバッテリーなどを回収した。本当ならこの後、山へ死にに行く予定だったが、もうそんな体力は残っておらず力尽きた。リュックに必要な道具を詰め込んだところで力尽きた。動きっぱなしだったので横になれるベッドの柔らかさが身に沁みた。

それにしても、昨日のこととはいえよくこんなに詳細に思い出せるものだ。

 

 

今日のこと

朝8時に目が覚めた。こっそりと家を出た。

外はものすごい快晴で、爽やかな秋の風が吹いていた。こんな朝に死ぬ気分になれるわけないだろ…と思う。朝の電車に飛び込める人ってどうなってんの?時間帯も手段も。死ぬなら夜だろう。それも誰もいない真っ暗な場所。

そういうわけで、夜まで待つことにした。今回は昨日と違って上着も懐中電灯もあるしロープの結び方も調べてきて既に結び終わった後だ。

朝はお城の公園のベンチに座ったり、図書館前のベンチに座ったりしていた。10時を過ぎたので図書館に入り心理系の本を読む。

朝から何も食べていなかったので、近くのお気に入りのタイ料理店に行った。ここの料理は地元の中でも一番好きかもしれない。そもそもタイ料理自体が甘くて辛くて酸っぱくて奥深い味をしているのにここの店はその中でもレベルが高い。最後に好きなものを食べたいと思うのは当然の心理だ。今後もう食べられないと思うと名残惜しかったけど。(これを書いている今は自殺は取り止めることにしたので、またあのタイ料理が食べられる身体があって嬉しい)

その後、自転車の空気を入れにまたゆめタウンへ。サーティワンアイスクリームでマジカルミントナイトとナッツトゥユーを食べた。食べてばっかりだな。2つとも大当たりの味だった。サーティワンはチョコ系のフレーバーを選ぶとハズレが無い。

昨日の疲れが残っている中で動いたのでまた横になりたくなった。もう一度自室のこだわりのマットレスに寝転がりたくなった。母が在宅かもしれず顔を合わせたくなかったけど静かに入ればいいかと思い帰った。家には誰も居なかった。電気を消して横になった。腰がすごく重かった。

 

そのうち母が帰ってきた。晩御飯を食べることになった。色々話しながらだったのと気が重くてなかなか箸が進まなかったけど食欲はあった。

 

死にたい気持ち

話の中で、自殺しようと思ってたことを母に吐露することが出来た。それを言ったら一線を超えてしまう気がして今まで出来なかった。当たり前だが希死念慮自殺念慮があることのカミングアウトと自殺を本当に実行してしまうのとでは親不孝の度合いでは比べ物にならないほどの差がある。後者は取り返しがつかないので、前者の方が圧倒的にマシだ。そういう意味では内心で抱えていたものを言えたのは良かったのではないか。どのみち心労をかけてしまっているので申し訳ないけど…。ずっともやもやした思いを抱えていたんだなと吐露して初めて気付いた。

13歳からの仏教~みたいなタイトルの本を図書館で読んだ。対象年齢にダブルスコアを付けてしまってるけど、質問に対して詳細に分かりやすく回答してある。親孝行とはおもに3つ、健康でいること、自立すること、家族を持つことだという。このまま死んでしまったら全て満たさないまま親より先に死ぬという最大の親不孝をしてしまうことになる。まぁ大抵の自殺志願者はその辺りまで考える思考の余力も無ければ認知も歪んでいるので、どうとも言えないのだけど…。

大学時代、就活で絶望してた頃も自死遺族のブログを眺めたりしていた。「死んだらこんなに悲しませることになるのか…。」という感想を抱くだけで、死のうとは考えていなかったけど。でも健全な精神状態の人間はわざわざ自死遺族のブログを検索して読んだりしないので、やはりかなり不安定だったんだろう。

 

母からの指摘の通り、私のことを否定する人は1人も居ない。父も姉も親族も他の人達も。私だけが、自分には無理だ、もう面倒くさい、考えるのに疲れた、どうせ自分は間違った選択をする、と思い込み続けている。

また、自殺はあらゆるものへの裏切りでもある。自分自身への裏切り、今も生きて活動してくれている健康な身体、ずっと支えてくれた家族、雄大な自然と山々、今まで関わってくれた多くの人達。

 

書くのに疲れてきた。この辺で。