shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

これまでの経緯 (2/5) 休職期間→実家へ

 休職期間

3か月間の休職期間中、ボーっとしたり鼻の手術を受けたりするくらいで、頭がうまく働かなかった。人事の人に理学療法士に向いてると思うと言われたけど、人を助けることには興味があるものの使命感というほどではなく、グロ耐性が無く今まで医療に興味を示したことも無く、医療や介護といった分野は色んな意味で人間の綺麗ではない面を見ることになるので、しっくりこなかった。それに、人に勧められたから自分の道を決めるというのが安直すぎて進路決定としては怖かったので選びたくなかった。最低3年間は専門学校に通い直すというのも年数や学費の面で取り返しがつかない感が強く敬遠した。休職期間後に総務部に移動しても良いと言われたものの、肉体的にも精神的にも勤務できる状態ではなく、同期の前では割と元気に振舞っていたので突然つぶれて恥ずかしい、上司にも合わせる顔が無いとも思い、復職の意思は無いということで退職となった。

 

 

しかし良いことが2つあった。

傷病手当金

曲がりなりにも1年勤務し雇用保険にも1年間入っていたので、保険組合から傷病手当金が最長1年6ヶ月受給できることになった。これが無かったら、無理に適当なところで働いて致命的なまでに精神が悪化していたかもしれない。

登山を始めた

休職期間の終わり際に六甲山に登り、現在まで続く大事な趣味である登山と出会った。『神々の山嶺』『山と食欲と私』等の登山漫画を読んで、良いなぁ始めたいなぁと憧れていたのをやっと行動に移すことが出来た。これは本当に良かった。

 

 2020年1月頃、石井スポーツというアウトドア総合ショップがヨドバシカメラ併設のリンクス梅田にオープンしたので行ってみたところ、ものすごく広くてアイテムが多くて雰囲気が良かったので、そこの店員になりたいと思った。でも登山用品店といってもmont-bellもそうだけど結局はアパレル販売店としての色が濃いので、アパレル販売員って自分とは違くないか、と感じ結局応募はしなかった。当時は山登りを始めて2~3ヶ月のひよっこだったので、自分がそんなに登山に対して熱意を持っているのかも分からず、どちらかといえば客に教えるというより自分が商品について聞きたいという状態だったのも理由だ。(今では、地元での再就職の結果、自分はお客に対しての営業トークや接客がかなり下手かつ興味も無いということが分かっているので選ばなくて良かったと思ってはいるが)

 

コロナ

そのまま登山に夢中になってしばらく経った頃、コロナウィルスの感染拡大が来た。おおさかしごとフィールドという施設に定期的に行って適性診断や相談等のサポートを受けていたが、2月20日から3月20日くらいまで施設を利用できなくなり、4月に緊急事態宣言となった。緊急事態宣言ともなると実家には帰れないし求人数は減るし就活支援施設も閉じるしで良いことが全く無かった。大阪の中心部ということもあり真面目に自粛していた。期間中に何をやっていたのかは全く記憶が無いけども…。

5月後半に 緊急事態宣言 が解除されてからどうすることもなく登山だけ続けて数か月が過ぎた。このまま傷病手当を貰ってただ生きているだけの生活を続けても前進するビジョンが見えなかった。生活の身の回りのこと(食料の買い出し、料理、食器片付け、メールチェック、書類整理、ゴミ出し、床の掃除、水回りの掃除、日用品の買い出し、役所手続き、ポストの大量チラシの処理、メンクリ受診、生活記録、傷病手当申請等)をやるだけで精一杯で、自分に向き合うのも怖いままで、なんにも変わらないことを危惧していた。

それで以前から家族に実家へ帰ってくることを勧められていたのを思い出た。思い起こせば、自分が精神的に悪化し始めたのは大学進学で1人暮らしを始めてからだ。中高までは何の問題も無くほぼ皆勤で学校に行っていた。ここでまた強がって1人暮らしを続けるよりは帰った方が良いのでは…と考えた。情けないとは思ったけど、1人では立っていられない状態である以上、家族のサポートが受けられるなら受けようと思った。

それに経済的・時間的・心理的な以下のメリットが挙げられる。

  • 上記で挙げた日々の雑務に追われることが無い
  • 生活リズムが規則正しくなる
  • 家賃、光熱費、ネット等の支払いで精神が追い詰められることがない
  • 負の思考スパイラルに陥っても家族と会話することで修正される
  • 今住んでいる場所より静かで空気も綺麗
  • 自分が適当に用意する食事(冷凍食品やレトルト等)より、明らかに栄養があり美味しい料理
  • 就職活動などのやるべきことから現実逃避することが無くなる
  • ネット依存症がある程度抑えられる
  • 新聞が読める

区切りを付けられるタイミングは今しかないと思い、ついに大阪を離れることを決めた。そういうわけで、第2波後の感染が落ち着いた頃に地元に帰った。

 

地元へ帰還

地元に帰ってから2週間くらいは引っ越しによるあれこれを済ませたり、生活用品や部屋の内装を整えたりしていた。自室には結構こだわる方なので、数カ月間にわたってたまに考えることにはなるのだが。

更にその後は自分の過去の選択やこれまでのことについて考えて精神的に不安定になりベッドに横たわって時折泣いていた。過去の分析をするのは良いものの、後悔や反すうがぐるぐると頭の中を回っている状態はよろしくない。家族に話を聞いてもらったりして思考や認知の歪みに気付いて徐々に修正したりして、何とか就活への強い忌避感と戦って、再就職に向けて動きだした。