shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

気が付けば秋に差し掛かろうとしている。

猛暑の合間に少し涼しい日が来るようになったり、トンボが飛んだりしている。

 

そういえば10月末になれば地元に帰ってきて2年か…。

自分が登山を始めて大阪であちこち登っていたのが19年10月から20年10月。

もう2年以上前になるんだな…。

 

あの頃は楽しかった。精神状態の変動はあったにしろ順調に回復していってた。

山に登る時の自分は生き生きとしていた。毎日天気予報と天気図を見て晴れそうな日を見ていって、早期出発のために早寝早起きをしたりしていた。

気になる山のルートや寺社仏閣や名物などを調べる時間は楽しかった。

 

まさかコロナによって世界がここまで変わるとは夢にも思わなかったけど。

 

大阪に居た頃に登山用品店に就職すればよかったんだろうか。

いや、でも当時は登山始めたばかりのガチで何も分かってない初心者だった。それがいきなりテントだのキャンプグッズだのスキー用品だの厳冬期の雪山装備だのがごちゃごちゃ置いてある店で商品知識を適切に紹介していけるとは思えない。

それに安くて品質の良いmont-bell製品しか使っていなかったし、自社店舗で一度も買い物したことない人を採用するとは思えない。

1年間登山をやって全て日帰り登山でテント泊は一度もしなかった。それどころかガスバーナーを使っての山ご飯作りすらしたことが無い。

自分の山に対する付き合い方というのは、時間が経っても多くのライト層と同じなのかもしれない。今もガチの雪山登山やテント泊や沢登りなどをしてみたい気持ちはそんなに無い…気がする。

いや、本当はやってみたい。そうだ、やってみたい気持ちはある。地元に居ると近くに良い山が無くて登山に対する心のアンテナが鈍っていくから忘れてたけど、登山技術のレベルアップと実行可能な行動の選択肢を増やしたいと思っていた。

 

ただ近畿の有名な山はある程度登って、それで満足しちゃったんだよな。

一度登った山はお気に入りでなければそれ以降登ることはあまり無かった。

飽き性なんだろうか…。山好きな人って同じ山でも何度も何度も登る人が多い印象だけど。というかそうでないと登る候補の山がすぐに尽きてしまう。

 

結局仕事レベルの熱意では無かった…ということなんだろうか。

そもそも採用されていたかも怪しいが。

それとあの大阪市西区や梅田のコンクリートジャングル具合や人の多さ、騒音の多さにほとほと疲れ果てていたのもあるので、梅田勤務は厳しかったかもしれない。

でもこうしてごちゃごちゃ頭で考えるよりは勢いで入ってみてから考えてもよかったのかもしれない…。

自分は好きなもの以外では仕事の知識が頭に入っていかないやばい体質かも…と最近思い始めたから。

 

 

 

何気に当時悩みの種だったのが、家賃の高さ。

大学卒業した時に色々あって物件選びの時間が殆ど無く、物件紹介業者の勧める物件にそのまま決めてしまったのだ。

大阪市西区の中心部、広さはそうでもないものの清潔で防音もしっかりした家賃がクソ高い部屋に住むことになってしまった。

1社目勤務時も休職中も退職後も、新しい物件を探したり引っ越し業者を手配する気力やエネルギーがどうしても湧いてこなかった。土地勘も無く引っ越したい地域も分からなかった。

部屋の契約の他に電気ガス水道ネットの契約があるけど、それらを解約しつつ引っ越し先の新規契約もする、というのがどうしても当時の私には荷が重かった。

そうして金に余裕が無いにも関わらず高い家賃を払い続けることになってしまったのだ。