shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

寝苦しかった夜。死について

昨夜の眠りは最悪だった。

暑さによる寝苦しさからか悪夢を見て夜中の3時に目が覚めたし、7時半くらいに目が覚める前にも何か夢を見た。

いつもは就寝1時間後くらいにクーラーを消す予約をしているけど、熱帯夜になりそうな時はもっと長く付けておいた方が良さそうだ。

 

他者の死

寝る前に死について考えたのも夢の内容に影響したんだろう。

ニュースでは人の死についての報道も多い。

安倍元総理への銃撃、遊戯王作者のシュノーケル中事故、知床の水難事故、コロナによる死亡者等々…。

それとつい先日、Twitterで良いイラストや漫画を描いていた有名絵師さんも若くして末期ガンで亡くなられたようだ。

地位や権力があっても、富豪でも、頭が良くても、秀でた能力があっても、死は平等に時に不平等に、突然に訪れる。

 

個人的には今この瞬間に急に死んだとしてもいいと別に構わないと感じている。

ただこれには「常に全力で生きているから悔いは無い」という台詞を言える人のような眩しさは無い。

生きている責任や苦しみから逃れたいけど、自発的に死ぬことは恐ろしすぎて到底可能とは思えないから、何か外的要因で死なざるを得ない状況になればいいのにな、という単なる逃避思考でしかない。

多分こういう思考をしている人は日本中にたくさん居る。生きても死んでもいない状態だ。

 

客観的に見て私はすごく恵まれた立場に置かれているし、私より絶望的な状況の人は無数に居ると思う。でもそんなことは何の慰めにもならない。よそがどうとかではなく、単純に私自身が生きづらいのだ。

自発的な死というのは世界に対する敗北宣言であり、人生への裏切りであり、自身への殺人行為でもある。

でもなんか…全部が全部面倒になってきた気持ちもある。この先どれだけ頑張れば私は自立した社会人になれて、どれだけやれば長野に移住できるんだろう。私にそれらが出来るほどの実務能力、コミュニケーション能力、熱量、責任感、計画性があるとはどうしても感じられない。

 

 

1ヶ月ぶりにカウンセリング予約して行った方が良いのかなと思ったけど、50分で5000円かかるからな…。去年は思考の整理に大いに役立ったけども、前回のはそうでもなかった感がある。

5000円もかかるんなら、それ使って外食行ったりケーキ買ったりした方が良くねえか?