shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

「お勧め」というやり取り

姉から「最近は見るものが無くなってきたんだけど、何かお勧めのものってないかな?」と聞かれた。今までなら普通に色々紹介したと思うけど、今回は断った。何か紹介したら、向こうからも何か紹介されそうだと思ったから。自分は紹介しておいて人からの紹介は拒否すると角が立ちそうなので、それなら最初からそのやり取り自体を断った方が良い。

 

 

「おすすめ」なんていらない

私は人からお勧めされたものを良いと思ったことがそこまで無い。良いと思わないだけならまだ良い。それよりもっと悪いのが、それがあまりにも趣味じゃない場合で、そうした時は嫌悪感すら覚えてしまう。しかも人間の性として嫌な記憶ほどなかなか忘れにくい。相手はお勧めしてきた内容を良いと思っているので、正直に内容を批判しにくいのが何ともやりにくい。

だが心の底では「ふざけるな!こんなくだらないものをどういう意図で見せてきたんだ!俺の心を汚しやがって土足で立ち入ってくるんじゃねえ!時間返せぶん殴るぞ!どんな美的センスをしているんだ!」という心境だ。あまりに私のセンスに合わない時には、怒り狂い、腸が煮えくり返ることもある。

家族であろうと赤の他人であろうと、私と全くの別人であることに変わりはない。家族からも時折り、私のセンスや感覚からはかけ離れた理解の及ばないものを見せつけられることがあった。

そういった心境や経験もあり、今の私は「他人からのお勧めというのは押し付けであり、一種の攻撃ですらある」と思っているのだ。

 

リスク

他人に自分が良いと思っているものを開示するのは基本的には楽しい行為だ。

一方で、リスクもある。自分が気に入っているものが批判される可能性が発生するというリスクだ。自分でも今まで気付いていなかった好きなものの欠点を指摘され、そのことが頭から離れなくなってしまうかもしれない。

上に書いたように、基本的には相手が好きなものを真っ向から批判することには忌避感を覚えがちだ。ただやはり、人が好きな作品の欠点をわざと指摘したりする者も悲しいことに存在する。そうでなくても、人間は無意識のうちに無神経な発言をしてしまう生き物だ。どれだけ気を遣っているつもりだったとしても。

 

 

まとめ

私はもう、そういったお勧めのやり取りに期待することに疲れてしまった。

どうせ相手から私が良いと思う内容の作品が提案されることなんて無い。むしろこれまで、合わないものや嫌いな内容ばかりが提案されてきた。それが余計な邪魔くさい記憶として私の中に残る。いちいち私の中に入って来るな。

いらないものをお勧めされた時に、何が残るか。無駄に時間を消費したという事実。心の平穏を失った怒り。お勧めされた内容への生理的嫌悪感。相手への疑念。そんな不必要極まりないものしか残らない。

怒りは心の中を乱す。相手に怒りをぶつけるとまではいかなくても怒っていることを伝えれば幾らかは落ち着く。しかし怒ることには物凄いエネルギーが要る。怒った後は心のエネルギーが欠乏し、重いため息しか出ず、元気が無くなる。相手には何のダメージも無いのに、こちら側だけが損をしている。

 

こんな面倒で疲れるだけのやり取りなら、最初からやる必要が無い。リターンに対してリスクが大きすぎる。 

お前たち他人からそんなものを取り入れなくても、私には既に堪能しきれないほどの多くのお気に入りの娯楽がある。

だから私の中に立ち入ろうとするな。代わりに、私もお前たちの中には立ち入らない。