shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

映像作品の視聴について

これも年齢を重ねたことの影響なんだろうか…。一応20代半ばだけども、10代の頃とは明らかに感覚が違うような気がする。いや、元々アニメや映画は普段から見る方ではなかった。それでも、中高の頃は48話分もあるガンダム作品を数日間で一気に見終えることが出来ていた。12話しかない1クールアニメなど、サクッと消費できる感覚だった。

 

気楽な雰囲気の、短い作品の方が良い

それが今では、プライムビデオで人気アニメ・人気映画を無料で見られるにも関わらず、全然見る気になれないのだ。これは今のアニメがしょぼいと言っているわけではない。むしろ、今のアニメの質はすごいと思う。細かいことは分からないが、チラッと見ただけで作画やCGの活用、声優さんの演技力の他に、おそらく構成もよく練られているんじゃないだろうか。それを見て私自身「よくここまで作るなぁ…」と感じる。

しかし、私がプライムビデオで最後まで見たのは『PUI PUI モルカー』だけだ。羊毛フェルトストップモーションで動かした、1話が2分程度で終わる短いアニメ(全12話)である。誰も台詞を喋らずジェスチャーや表情だけで表現するので、情報量は抑えめで脳に優しい。且つ、展開が分かりやすく短い時間で起承転結がはっきりとしている。

そう、「短く、分かりやすく、事前知識も必要ない作品」を選んだのだ。

アニメや映画は、作り手の情熱や努力が込められている。だから片手間に見るのは申し訳ない気になるし、適当に見ると話の流れが分からなくなる。だから真剣に作品を見る。作中に特有の用語が出てくるならそれも把握する。必要なら、下地となる知識(関連作品や、歴史や知識など)も学ぶ。

しかし正直、もうそういう真剣さを求められるのは疲れる。濃すぎるし、重すぎる。ネットフリックスどころか、プライムビデオのラインナップですら全く消費しきれない。作品ページの、全話ズラっと並んだリストを見ると、「ほらこんなにいっぱいあるよ。視聴しよう?」と言われているようにすら感じる。

 

一気見はキツいが、毎週コツコツ消費はいける

そういえば『ひぐらしのなく頃に 業 』は毎週録画して1話ずつ見ていたので、1~24話を全て見ることが出来た。他の作品は観ずに、好きな作品を1つだけ、毎週1話ずつコツコツ見ていくやり方なら視聴を完遂できるわけだ。(そこまで丁寧にしないと視聴できないともいう)

まぁひぐらしは、元になった作品を知っていて、登場人物や大筋の流れ等を事前に知っていたことが大きいか。少し特殊な例かもしれない。

映画館では集中できる

アニメ映画は普通に最初から最後まで一気に視聴できるのが不思議だ。去年見た『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』はかなり面白いと思ったし、先日見た『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』もそれなりに面白かった。

ある程度強制力が働くことが重要なんだろうか?チケットを買えば、その日時でしか作品を見ることは出来なくなる。上映中は真っ暗で、他の客の迷惑にもなるので、スマホを触るという選択肢は消える。視聴するのがよほど退屈でなければ、上映中に寝ることは無い。視聴するのがよほど苦痛でなければ、一度見始めた作品を最後まで観ずに途中退室することは無い。つまり、映画館では自然と作品に集中できる環境が形成されているのだ(今更言うことではないが)また、家と比べて映画館では特別感・非日常感を感じることも集中しやすい要因かもしれない。

対して、家ではその作品をいつでも視聴できるのと同時に、いつでも視聴を中断することが出来る。録画でも動画配信サービスでもそれは変わらない。家では他の娯楽に溢れているので、どうしても気が散ってしまい長時間集中しにくい、というのが大きな要因だと思った。

 

アニメの空気そのものが合わなくなったのかもしれない

「真剣さを求められるのが疲れる」以外にも、アニメ視聴がしんどくなってきた理由はある。アニメ作品が全体的に冗長に感じるのだ。それはどこかというと、展開そのものや台詞回し、間の取り方など様々だ。時間あたりに対しての情報量が、どうしても少なく感じる。説明が周りくどく、展開がしつこく感じる。また、キャラクターのリアクションを聞いていて疲れたり、声に違和感を覚えたりと、視聴中に自身がマイナスだと認識した要素を妙に意識して集中できなくなる

最近『ダイの大冒険』を4話まで見て特に感じたことが、悪役が主人公に対して優位に立っているシーン…これが長い。悪役の調子に乗った顔や台詞など、見ていて楽しいものではないので、自然と15秒スキップボタンを何度か押すことになる。また、キャラの大きな声やリアクションを聞いていると何だか疲れてしまうのだ。

ゴールデンカムイ』1話でも、おっさんの声に不快感を感じて重要な説明を飛ばしてしまった。

映画でもそうかもしれない。最近『アイアンマン』を見たが、悪役が優勢なシーンや中盤のごちゃごちゃしたシーンを見ていてもハラハラする気持ちになれない。「もうどうでもいいからさっさとパワードスーツを完成させた主人公の活躍シーンを見たい」そんな風に思ってしまう。

良いとこどりをしたい

これらを視聴した中で共通している感情、それは「一番美味しい部分を、短い時間で効率よく味わいたい。鬱屈とした”溜め”は要らない。」というものだ。

昔と比べて、かなりせっかちになった気がする。

それは今の時代、面白さが短い時間に凝縮された映像作品…ネット動画が溢れているからだと思う。数分どころか、15秒のショート動画が今の流行りだ。どんどんせっかちになっているのは、私だけではない。

 

おわりに

「今は娯楽があふれている」だなんて、もう何十年も前から言われているはず。

それでもネット上の娯楽の量は年々増え続ける一方だ。

Twitter、LINE、インスタ、Facebook等の各種SNS

YoutubeTiktok等の動画プラットフォーム。

急拡大している、無料で漫画を見られるアプリやサイト。

Netflix、Hulu等のアニメ・映画・TV番組等を見られる定額制の動画配信サービス。

pixiv等のイラストサイトでは、物凄く綺麗な絵や面白い漫画をいくらでも見られる。

小説投稿サイトでは、面白いネット小説がいくらでも読める。

 

それでも、人が1日に使える時間は有限だ。

その貴重な時間のうち、アニメや映画を見ると多くの時間を持っていかれる。

それを勿体ないと思うのは極自然なことだろう。

その時間があれば、面白いショート動画を何本見ることが出来るか…。

 

全ての娯楽が、私たちの可処分時間の争奪戦を繰り広げている。

その中で私は、他の娯楽より視聴を優先する程の対象として、アニメや映画を認識できなくなったのかもしれない。