shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

Youtubeの限界、テレビ番組のすごさを再認識

Youtubeの動画に、何か…表現の限界を感じてきている。

画一的というか…ジャンルは違うのに同じような動画ばかりだなと感じることが多い。以下のような感じで。

・動画の長さは10分から20分程度

・企画は個人から数人に出来る程度の規模(商品のレビュー、〇〇やってみたor行ってみた、事柄や知識の解説、ゲームのプレイ動画、等々…)

・低予算

・短期間の撮影(1日か数日、長くても数週間)

 

すぐ思いつくのはこんな感じ。もっと良い分類や表現はありそうだけども。探せばYoutubeにもこれらの条件に当てはまらず且つ良い内容の動画もあるだろうけど、多くの動画はパッと見の印象でこんな感じに見える。

 

こういう時、テレビ番組の企画や構成が恋しくなる。

これはyoutubeにテレビ局のチャンネルがアップした動画だが、10年20年単位で一般人を取材し続けるなんて、テレビでなければ不可能だ。こういう味わい深い動画は、これまでもこれからもyoutuberには作れないだろうなと確信している。短い動画なのに、初めて見た時は泣いてしまった。

www.youtube.com

 

こう書いておきながら何だが、今の私はテレビを持っていない。実家に置いてきた。

確かにYoutubeと比べた時にテレビの持つ番組を作る力…企画や構成、取材、人材、予算といった部分はとても高いと捉えている。ただそのテレビに対しても私は色々と不満を感じている。

まずいちいち録画しないとアーカイブが残らないこと。日頃Youtubeを利用していると、録画という行為がものすっっごく面倒に感じる。過去に放送された番組は見たくても見られないなんて、もはや拷問だ。

NHKの場合は、NHKオンデマンドという有料サイトを見ればある程度の過去の番組は見られる。しかしそれでさえも抜け落ちている回もあるし、人気番組でなかったら番組自体が無いこともある。ましてや、NHK以外の放送局だとそういう有料サイトすら無かったりする。

早急に自動でアーカイブを残す仕組みを作って欲しいが、何十年も変わらないということは放送の仕組み自体がもうそういう風になっているんだろう。いや私が無知なだけで何らかの方法で何とか出来たりしないか…?その辺は分からない。

他にはこんな感じか。

・受信料がかかる。私が好きな番組はBSにも多いがBSの料金も含めると年間では結構な額になる。

・摂取する必要の無い暗いニュースが流れてくる。殺人事件だの死亡事故だの、殆どの人の人生には関係が無いだろう。

・民放のチャンネルはCMが多く焦らされる。CMもうるさくて下品なものが多い。広告ブロッカーを使いながらネットを見るのに慣れた身にはキツい。もちろん民放にも素晴らしい番組はあるが、NHKと比べると当たり外れは大き目な印象。

 

 

 

話は変わるが、私が好きな番組はNHKの『 ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅 』。10分間にまとめられた、自然と人の営みの調和を見事に表現した神番組だ。森田美由紀さんの落ち着いたナレーションが言葉では表現できないほど素晴らしい。とても美しく繊細かつ壮大なオープニングから始まり、番組最後には里山に残る伝統工芸品や昔の言葉などが紹介され締めくくられる。

当然のようにNHKオンデマンドには番組が検索でヒットしない。俺にはNHKの考えていることが全く理解できない。何十回もの放送を録画したものをダビングして持っているから許すが…。

 

 

他にはTBSでやっていた『 THE 世界遺産 』という番組だ。私が見ていたのは2012~2013年辺りだったはず。その頃は6代目ナレーターとして深津絵里さんが担当されていた。穏やかでありながら情緒豊かで明るく聴きやすい最高のナレーションだった。あの頃は良かった。あの頃だけが良かった。スポンサーがソニーだけで、CMすらも映像系の美しい静かなCMだった。オープニングは曲も映像も素晴らしく、見るだけで気分が上向く最高の番組だった。

それが2014か2015年だったか、その辺りからナレーションが変わった。ドブのようなダミ声の暗い男の声や、何の情緒も無く読み上げる女が担当するようになった。スポンサーはソニー単独から雑多な企業たちに変わり、統一感の無いうるさいCMに変わった。「風の詩」というオープニング曲は使われなくなり、映像も変わった。

 

更に悲しいことがある。ダビングした記憶は確かにあるのに、そのディスクがどこにいったか分からないのだ。当時は高校卒業前で、毎週録画していた。ダビングしたことに満足し、実家に保管したままにした。大学の下宿先に持って行かず、実家に帰った時に思い出すことなくそのまま放置し、10年近く経ったことで行方知れずになった。どうしてあの素晴らしい番組を録画したことを長期間忘れて確認しないままだったのか…過去の自分のことが理解できない。完全に自業自得だ。

まぁ、良い。オープニング曲を聴くだけで手軽に満足できる。第一、世界にこんなものがあるあんなものがあるこんなものを食べたという他人の体験を見ても、「良いなー行って見たいなー食べたいなー」と羨望し嫉妬しそこで終わるだけ。映像で何を見ようと、結局は実際に自分が見聞きし体験したものこそが全てだ。海外なんてそう簡単に行けるものではなく費用や準備や下調べが必要で、世界中の全てを見聞きは出来ない。ならば最初から映像など熱心に見る必要は無い。いくら画面の中では世界中を飛び回っていようと、自分の肉体はモニターの前でじっとしているだけなのだから。それよりは近場の低山にでも登るか、隣の市でもプチ観光する方が様々な驚きと発見がある。脳というものは信じられないほど高性能で、映像を見ても騙されたりはせず、それが偽物だと認識できている。

仮にダビングしたディスクを今でも所持できていたとしても、番組を見返す度に「でも今のTHE世界遺産は何もかも変わり果ててしまったんだよな…」と物悲しい気持ちになってしまうだろう。それならば曲だけ聞いて浸るだけの方が悲しい気分にならず、時間も短時間で済む。第一、10年近く思い出すことが無かったのだ。今更思い出して大事そうに振舞ったところで、自分にとっては10年間意識することが無いものだったのだ。

今思うに、私にとっては深津絵里さんの担当していたあの数年間だけが素晴らしいものだったのだ。あの時期が特異だっただけだ。こんな気分になるのなら、最初からこの番組自体を知らなければよかったとも思う。あぁ虚しい。

 

好きな番組を語るつもりが、とても長々と怨嗟を書いてしまった気がする。何なんだ…。好きなものに対する入れ込みが強いのかな?それが裏返ってしまうと怖いことになるということか。