shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

吹屋ふるさと村

秋という季節になると、あちこち行きたくなる衝動が湧きだしてきて抑えられない。

今日は以前から行きたかった、岡山県高梁市吹屋ふるさと村に行ってきた。

12月になると施設が冬季スケジュールとなり土日祝しか営業しなくなるし、木々の葉が落ちて寒々しい景色になるし、そもそも中国山地では路面が凍結したりするのでスタッドレスタイヤを装備していないうちの車では北上できなくなる。

そのため11月の今のうちにどうしても行っておきたかった。今回行けて何か憑き物が落ちたような満足感がある。

 

朝、ほんの些細なことで落ち込んだり無性にイライラしたりと心が乱れた。

もっと鈍感な人間になりたい。生来が繊細な気質なのだから、後天的に鈍感になることは不可能なんだろうか。意識的にある程度変えることは可能だと思うが…。

車を運転し始めると、次第に心が平静になっていった。

一定の速度と振動、変わる景色、交通ルール順守への意識といった淡々とした要素に集中することで余計なことが心の中から消えたことで、落ち着くことが出来たのだろう。

 

車を運転するのは今年のGWに島根に行って以来だ。

5月以来部屋の棚や引き出しなどを買って部屋の整理整頓に出費していたので節約生活をしていたり、6月は年金のことで母にブチ切れられて精神的にきつかったり、7月~9月は普通に暑かったので出かける気にならなかったりと色々要因はあった。

この頃はバイト先のスーパーの社員になることを志望して地元に残るのか、移住するのかで迷ってどうにもならなくなっていた頃だ。希死念慮に苦しんで未来のことがあまり考えられなくなっていた。

自分の今の状況じゃ移住は無理だ(と思い込んでいる)、でも本音では行きたい、今の職場の正社員にはなりたくない、でもでもだってのループだった。

 

そんな状態なので、父に車を貸してほしいなんて頼める立場には無いと感じて、言い出せなかった。

しかし思い返せば、父に車を貸してほしいと頼んで貸してもらえなかったことは一度も無い。毎回普通に貸してもらえた。

何故か「土日にしか車を借りられない」と思っていたけど、これもただの思い込みで、平日にも普通に貸りることが出来た。

 

もしかして、予想以上に、自分は思い込みや固定観念に囚われているのかもしれない。

誰かにどう思われているかなんて分からないし、どう思われていたっていいじゃないか。どうして他人の思考についてすぐ気にするんだ?

 

 

 

2022年4月に改修工事が完了して文化財として公開された旧吹屋小学校。2015年からずっと工事していたらしい。

今日見たものの中で一番良かった。古いのに綺麗で、親しみやすく、ノスタルジック。

ブログに写真を貼るのが想像以上に手間がかかる。

Googleフォトのアルバムを見るに、今日撮った写真は95枚もある。

全てを貼ることは出来ない。

 

天気

天気予報では今日は一日中晴れだという情報だったのに、ちょくちょく、特に午前中は大きな雲が空の大部分を覆いつくす時間があって焦った。

その後も雲はそれなりに多かったものの、何やかんや青空がかなり増えて日差しもあって本当に良かった。

日差しによって日向と陰が出来ることで写真映えが劇的に良くなる。曇りだと光が均等になりすぎてつまらない。

ただ、この晴天にこだわりすぎるのも良くないかもなと思っている。完璧主義の人は鬱になりやすいというらしいけど、これも一種の完璧主義なのでは…と最近思っている。

毎回雲一つない晴天というのも、全ての旅行がそうなってしまうとそれはそれでむしろ味気ないのかもしれない。

日差しはもちろん欲しいが、雲はむしろ適度にあった方が空の表情が変わって面白い。