shougaの生き方模索雑記

日記、心の安定、長野移住、登山、etc…

働くことについて今日の雑感

話すこと

人と話す機会が少なすぎる。

人と話すことが不得手なだけで、職業選択の幅は著しく狭まる。

不得手なだけじゃなく、そもそもそんなに好きじゃない…?

いや、中高の頃は友達と喋りまくってたはずだ…。ゲームの話だけじゃなく、色んなことを。あれは1人で過ごしてクラスから浮いたら嫌だからそうしていたんだっけ…?大学で1人で過ごすようになったあれが本来の形なのか?それともあれは徐々に心を病んでいったからそうなっただけ?

人と話す機会が少ない1社目でそれなりにもって、話す機会ばかりの2社目ですぐ限界になったことを見れば、たくさんの人と、たくさん話すのが苦手なのは確かだ。

…それも売り込みのための雑談・やり取りが苦手なのは確かだ。

ボランティアかバイトなのかそれ以外かは分からないが、家でも職業関連でもない第3のコミュニティに所属する方が良いと思う。会話の練習や、「自分にも居場所がある」という『所属の欲求』を満たすことになる。

 

他人との比較に意味はない

姉に嫉妬してしまう。信頼できる上司が居て、仲の良い同僚が居て、「先生」と呼ばれて、生徒の成長を見守れてサポートして、勤務時間は規則正しく、遅くまでの残業も無く、実家暮らしで家事全般は両親に任せている。そんな生活をずっと続けるんだろう。

 

ただ、仮に姉の職場に私が入ったとして、うまくやっていけるかは甚だ疑問だ。

私は、分かりやすい説明や指示することは苦手だ。CaPTの職業興味でも、「指導」は「研究化学」の次に低い。また、教育者としてキッチリとした身なり振舞いをする自信は無い。電話応対も多いようだけど結構苦手だ。対応が難しい生徒への細やかな気遣いが苦手そうだし、愛想があまり無い(正確には愛想よく振舞うと著しく消耗する)。……実際にやったことが無いので「苦手そう、自信無い」というフレーズばかりになってしまったが、これはネガティブに見た訳じゃなく実際そうだと思っている。

そもそも、塾講師バイトと日本語教師ボランティアを数年やっていた姉ですら、入った数か月間は家で泣いていたそうなのだ。教育というものに微塵も携わってこなかった、しかも2ヶ月働いた以外はここ数年無職の人間が仮に入れば、どうなるかは見えている。

 

結局、姉は合う職場を見つけただけの話だ。適応したと表現してもいい。どれだけ恵まれた職場でも本人が適応できないのなら意味が無く、はた目には厳しい職場でも本人が適応できるなら問題ない、ということだ。言うまでもなく、姉の合う職場と、私の合う職場は違う。いちいち比較してもしょうがない。

他人と比較している限り、どれだけ能力やお金があっても幸せになれない」という。

その通りだ。だが、人間には他者と比較してしまう生存的な本能が備わっている。これを理性で抑え込むのは難しい。逆に「自分自身が幸せだと感じるなら、他人との比較に苦しむことは無い」ともいう。どちらが先かみたいな話になってしまう気がするが。

 

その他

合わない仕事2つで、たくさん頑張って、苦しんできた。その中でようやく分かったことがある。合わない仕事でいくら頑張ったってしんどいだけで報われない、ということだ。合う仕事では「楽しい時期と苦しい時期」があるだろうけど、合わない仕事では「苦しい時期とすごく苦しい時期」しかない。そんなのを続けられるわけがない。だからこそ、自分に合う仕事に就く必要がある。

 

平均寿命も健康寿命も伸びている。あと数十年後は何歳まで働けるようになっているのか。70歳までか、75歳までか、はたまたそれ以上か。その頃に豊かに働くには、生産年齢の間に仕事を覚える必要がある。老いた後に体力仕事は当然無理だ。頭脳労働や、下の者のサポートという形になるだろう。経験と知識を積み上げた先に、その豊かな働き方がある。

私は出遅れた。違う、そんな人はいくらでもほどいる。まだ25だぞ…。

いい加減、自分を攻撃するのを止めよう。流石に不憫だ。

 

分かってる、自分が恵まれた立場だっていうことは。

 

こんなにじっくり自分探し、職業吟味できる時間があるのは贅沢なことだ。

だからこそ、自分を絶対に幸せにする。

 

好きなYoutubeチャンネルの1つ。環境音、ASMR。

この記事を書いている間、流していた。

https://www.youtube.com/channel/UCwqkDEvprbXpBaZti5rLKhg/featured